預言の成就
マタイによる福音書2章13~23節
この箇所は、イエス様がお生まれになった後に起きた、悲しい出来事です。痛ましい事件です。権力者の恐ろしさがよく表れています。権力を持つ者が、それを捻じ曲げて使うと、このような悲劇を起こしてしまいます。それは、権力者だけでなく、私たち人間の抱える弱さの表れでもあります。自己保身ということで、相手を攻撃したり、誤魔化したり、偽ったりして、自分の身を守ろうとする事があります。このような人間の持つ罪、弱さ、そこから救われるために、イエス様がお生まれになったのです。
救い主の誕生という喜ばしい出来事が起きたのに、多くの人がそれに気づかなかったことが、福音書を見ていくと分かります。彼らは、不思議だと思ったけども、心は動かなかった。自分の事として結びつかなかったのです。また、その知らせを聞いて拒絶した人もいました。ヘロデ大王などがその一人ですが、自分の地位を脅かす存在なることを恐れたのです。律法学者たちや、祭司長たちは、イエス様と敵対して、拒絶しますが、自分達が否定されると思ったからなのでしょう。
ヨセフとマリア、そして羊飼いたちも、恐れ戸惑いますが、理解できなかったけども、天使からのお告げを心に収めます。そして、神様を心の有中に迎え入れたのです。自分の思いに執着するのではなく、心の中に神様を迎え入れることの大切さを教えています。
ヨハネによる福音書の1章を見ますと、父なる神と子なるイエス様との関係が、神と言という形で表されており、それは一体であることを教えています(三位一体)。そして、その言は、光として暗闇に来られたけども、暗闇はそれを受け容れなかったとおあります。イエス様が地上にお生まれになった時に、多くの人々が受け入れなかった事に通じています。10~11節でもそれが表されています。しかし、言を受け容れた人、イエス様を迎え入れた人は、神の子となる資格を与えると書かれてあります。イエス様の言葉に耳を傾けましょう。