目を覚ましていなさい
マタイによる福音書25章1~13節
聖書を見ていきますと、婚礼の話しが出てきます。マタイによる福音書22章もそうですし、ヨハネによる福音書2章のカナでの婚礼の話しなどもそうです。結婚式というのは、大きな出来事でした。イスラエルの方では、1週間ぐらいその宴会が続くということを聞いています。聖書の中で、こうして何度も結婚式と宴会の話しが出て来るのは、神様と人とが、一つとされていく、ということを表しているのでしょう。もともと最初の人間のアダムとイブは、エデンの園で神様と共に生活をしていました。しかし、二人が蛇のそそのかす言葉に従った為に、神様から話してしまい、罪を犯してしまい、一緒におられなくなってしまいます。その関係の回復を神様が願われているのです。
今日の箇所では、神の国に、その宴会に招かれるために、「花婿を迎える」という事が、大事な鍵となっています。別な言い方をするならば、イエス様に導かれて、「神の国に入って行く」ということが、ここで暗示されています。私たちが、神の国に入るには、神様によって入る、神様の招きに応えて入ることになるのです。
乙女たちが持っていた、この火というのは、神様から一人一人に与えられている霊として、理解してもいいのかもしれません。その霊の油となるものは、神様から頂くものです。それを、人間の行いでもって代用しようとしても、不十分なのです。イザヤ書50章10~11節を見ると、「主の御名を信頼し、その神を支えとする者」ということが求められています。私たちは、神様から頂いている火、霊の火を灯し続けなくてはいけない。そのための油というものは、神様から頂くものである。日々、祈る中で、賛美する中で、神の御言葉に耳を傾ける中で、その油を受けていくのです。「目を覚ましていなさい」と言われますが、「神様に対して、目を覚ましていなさい」と言われているのです。神様の御業に、御恵みに、目が開かれている者でありましょう。