最も小さな者の一人に

マタイによる福音書25章31~46節

この箇所は、神様によって、神の国に入れる人と、そうでない人を選ばれているように、教えていますが、丁寧に見ていきたいと思います。その選びというものを、羊と山羊を分けるようにと、表しています。羊は、羊飼いに導かれて歩むものです。羊飼いによって、青草の茂る牧草地へと、水が湧き出る泉へと導かれて、養われていきます。一方の山羊は、逞しく山岳地帯の崖なども平気で飛びながら登って行きます。自由闊達に行くのですが、一歩足を踏み外せば、崖下へと転落してしまう危険性があります。

別の視点からこの箇所を読むならば、神様はすぐ身近におられるということです。神様は天高いところにおられると考えられますが、この箇所を見るならば、神様はすぐ身近におられることを表しているのです(マタイ福音書25章35~36節)。すぐ身近にいる人を通して、神様と出会っていくことが出来るというのです。神様は、遍在される方である、神はどこにでもおられる方である、というのです。ルカ福音書17章21節では、「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。と教えています。マタイ福音書18章20節では、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」。このように、神様はすぐ身近におられて、私たちのことをよく見ておられ、よくご存じであるというのです(詩編139編1~6節)。

この主なる神様が、人としてお生まれになったのが、イエス様です。それが、クリスマスの出来事です。神様が、人となってこの地上に生まれて私たちが経験する様々なことを同じように経験されたのです。そのイエス様が、エルサレムで最後の1週間を過ごし、十字架につけられて殺されて墓に葬られたのです。死さえも味わわれたのです。しかし、三日目に復活されたのです。変わらない愛で、私たちを愛して下さっています。大きな犠牲を払ってでも、私たちが神様のもとに立ち返ることを、切に願われているのです。