律法と預言の成就

マタイによる福音書5章17~20節

この聖書の箇所も、イエス様の言葉の中からのものです。イエス様の言葉集(Q資料)からマタイが山上の説教にまとめて書いた戒めの一つです。イエス様が、「わたしが来たのは、律法と預言者を廃止するためではない、完成させるためだ」と言われます。イエス様の言動を表面的に見ると、むしろ律法を否定しているように思われますが、実際にはイエス様こそが、聖書の教えを本来的なものを完成させるお方なのです。つまり、神の御心を行うことの大切さを、イエス様の言動は表しています。

マタイによる福音書5章21節以下を見ると、イエス様は「腹を立ててはならない」と言われます。これは、内面的な事を指しており、イエス様がそれを問題とされたのです。律法の書では、「~しなさい」、「~してはいけない」という具合に行動についての規定が書かれています。しかし、心の中を問題とされたのです。5章23節以下では、「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」。とイエス様は教えられています。喧嘩をした相手と仲直りをすることは、なかなか難しいことですし、裁判で争うつもりでいる相手と和解することも難しいことです。しかし、最後の1青銅貨も支払いなさい、借りがあってはいけないと言われるのです。

神様は、仲直り、和解ということ、つまり関係の回復を願われています。それは、神様との関係の回復であり、また私たちが対立する者ではなく、共に生きる者となることを願っておられるのです。エフェソの信徒への手紙2章14節以下で、キリストにおいて私たちが一つとされるのです。様々な違いがあったとしても、敵意という壁をキリストが打ち壊して下さるのです。キリストに繋がることで、私たちは一つとされるのです。第1コリントの信徒への手紙12章12節以下参照。