わたしたちの病いを担った

マタイによる福音書8章1~4節

1月14日にから福岡県も緊急事態宣言の対象地域となりました。新型コロナウィルス感染症のために様々な影響を受けていますが、立ち止まって考える時でもあると思います。人類は、高度な科学技術と医学の発展を遂げていますが、ひとたび感染症が流行したら、大きな影響を受けてしまうことを経験しています。また、近年の激しい自然災害にも、私たちは無力な者でしかありません。その自然災害が、私たち人類による環境破壊によって惹き起こされていること反省しなくてはいけません。

この聖書の箇所では、イエス様のもとに重い皮膚病を人がやってきて、平伏して、「主よ、御心ならば、」と病いの癒しを求めます。自分自身ではどうしようもない、ただ神様の御心にすがるしかない、そんな思いでイエス様のもとに来て、平伏したのです。その男性に、イエス様は手を差し伸べて、触れられたのです。その病いを恐れて、多くの人が逃げ出すような場面で、イエス様はその男性に触れて、関りを持たれたのです。イエス様は、自分にどんな不都合が起きるかを考えたのではなく、その男性の痛み、悲しみ、苦しみを感じ取られたからこそ、手を差し伸べられたのです。

イエス様が、ここでその男性に手を差し伸べられたのも、関係性を表すためでした。そして、イエス様は、私たちの心の中にも、目を留めて下さり、友となって下さる方です。いかに病いを抱えていても、汚れた者とされていても、イエス様にとっては親しき友として見て下さったのです。そして、この箇所の続きの8章17節で、イザヤ書53章の言葉が引用されていますが、私たちの病いも担って下さる方であるのです。私たちは、病気になると、痛みや、苦しみを感じるのですが、また将来に対する不安に悩んだりもします。それをイエス様が一緒に担って下さるのです。自分ではどうしようも無いと思えても、イエス様が支えて下さっていることを感じたら、どれほど心強いでしょうか